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ひとりで居ること
2021.07.23
生活

4月半ばに引っ越しをして、ひとり暮らしも3ヶ月を過ぎた。
7年付き合った恋人と別れて、20代だった頃の私はもう居らず、友人たちと幸せの中開けた30代だったはずの私には自由に暮らす喜びや、今後の出会いに対して多少前向きではあったけれど、どう目を反らせばいいのかわからないほど大きく「ずっと独りなのではないか?」という不安が大きくあった。

出産に憧れがないため、結婚願望も薄かったけれど、夫婦で楽しく暮らすInstagramを見るたびに、結婚しようと思える相手に出会えたことを羨ましく思った。私は、7年も付き合ってそう思えなかったから。

よく考えると、自分の容姿への自信のなさや、人間性の欠落を男性で埋めるようなふしは昔からあり、大学卒業後も独りの期間はほぼ無く、常に誰かに自分を愛せない部分を委ねて生きてきたように思う。
こうして独りになってようやく、思考停止して自分と向き合わなかったツケが回ってきてるんだなと感じた。

そんな中、ひとり暮らしを初めてなんとなく手にとった2冊の本。

高山なおみさんの「自炊。何にしようか」
猫沢エミさんの「ねこしき」

どちらもレシピ本として購入したけれど、それよりも内容に救われすぎてしまって、一生手放さないぞ、と思うくらいだった。

私はいつもどこかで、「自分のようなクソみたいな人間は誰にも愛されない」と思っていて、そのクソみたいながどのような部分かというと、漠然としていて言葉にできない。友人関係が良好であっても、自分がヘマをしているのに気づかず取り返しのつかないほど嫌われているという夢を定期的に見る。普通に怖い。

よくよく考えれば、私が人生のどん底や…と感じた数年前、男性関係で地獄をみて、職場でも辛く、金銭的にも苦しかったあの時、私が心も病まずに楽しく暮らすことができたのは友人や、側で支えてくれた当時一緒にくらしていた姉だった。彼女たちは私が犯したろくでもない過ちを責めず、ただ楽しく側にいてくれた。かなりありがたい。

私は独りに悲しむことなく、貧乏に苦しむことなく、いろんな場所へ行ったし、見返すと数時間かかるくらいの写真がいっぱいある。
どん底や…と先ほどは書いたけど、あれはどん底の縁で見えない底をみて、不安になっていただけだった。

今になって思うけど、あの時、自分なんて…と独りになることを選ばず、友人を頼り、きちんとご飯を食べて過ごしていた自分自身もちゃんと褒めてあげないとだめだったんだなと今更気づいた。

猫沢エミさんの本で

面白いことに、叩いてももうなにも出ないよというときに限って、
友達からのSOSが舞い込むことがある。
しかも、今、話を聞かなくてはなにの意味もないという、相手も追い込まれた状態で。
そんな時私は、自分の力袋をひっくり返して、底のほうにわずかに残っている、クッキーのかけらみたいなエネルギーをかき集めて、友人を励ますことにしている。
すると、自家発電装置が作動して、新しい力が滾々と湧いてくる。
エネルギーの出し惜しみなんてせずに、あげられるものをぜんぶあげてしまったほうが、自分自身も新しく満ちることができるから。

猫沢エミ「ねこしき」P.34

という話がある。

私はこれにじわじわと感銘を受けて、こういう人間でありたいと思ったのと、逆に、誰かに助けを求めてもええやん、と気づいた。
そりゃあ無責任に、助けて助けて!と乱暴に荷物をぶつけるようなことはしないけれど、私は少なくとも自分の周りにいる手の届く範囲の人たちに対して、私が居るよ、と思っているし、何かあったら側に居たい。

そう思ってもらえるような人生を、私も少しは歩めてるんじゃないか。

そう考えると、今日は朝からずっと布団の中でぼーっとしているのも勿体なく感じて、忘れない内に、とこのブログを綴っている。

食べることの楽しみ方や気の許し方は、高山なおみさんの本で学んだ。
私の冷凍庫には常にワンタンが常備されている。その勢いで、刻みネギも青ネギと九条ネギで2種、蒸籠にハマってから蒸し魚が美味しく、安い日にスーパーで買った魚もキレイにラップし冷凍庫に眠っている。
簡単な手間で、いつかの自分を豊かにできるのが嬉しい。料理は、無理してするものじゃないから。面倒な日は袋麺だって食べるし。

混沌とした不安への向き合い方を、猫沢エミさんの本で気づけた。
それは、本にも書いてあったように、彼女が一度落ちるところまで落ちて、もう上がるしかない、という人生を経験したからこそ、言える言葉だと思う。

幸い私は人生のどん底をまだ経験していない。
友人たちが、いつも絶妙なタイミングで現れて私を笑わせてくれるから。